岐阜 各務原市 那加新加納 ひよし幼稚園

第1回 子育てインタビュー
SIあそび講師
白濱洋征(しらはま・ひろゆき)先生

6月26日(木)のSI参観、講演会で講師をつとめていただいた白濱先生に親として子どもにどう向き合っていくかについてうかがってみました。

園長 白濱先生には、毎年たいへんためになるお話しをしていただき感謝しております。
昨年(平成14年度)から、小学校では「生きる力」すなわち自ら課題を発見し問題解決をする力を養うことを中心においた、いわゆる「新学習指導要領」がスタートしました。「ゆとり」ということで授業時間が減るため、学力の低下を問題視する声もあるようですが、この「生きる力を育てる」ということ自体はたいへん重要なことだと思います。幼稚園は遊びを中心とした世界で、教科学習の小学校とはその点で大きな違いはあるのですが、根本のところでは同じなのだな、と思います。

白濱 「生きる力」の意味をもう少しかみくだいて、「1度しかない人生を自分が主人公になって生き生きと社会参加していけること」を、私は「生きる力」と定義しています。すなわち子ども自身の「自立と自律」であり、このことこそ子育ての最終的な目標です。子どもは本来学ぶことが好きです。学ぶことは楽しいはずです。しかし何のために学ぶのかそれを持たないまま、ただ受験のために勉強をする子どもと、まったくしない子どもにわかれてしまっています。それは幼児期からの一方的な学習の押し付けや、過干渉、過保護、過放任が、子どもの「学ぶ」欲求を押しつぶしてしまっているからです。

園長 白浜先生がいつもおっしゃるように、私たちは子どもたちがどのような幼児期を送ることで将来の可能性が大きく花開くのか、親はどういう援助を与えていけよいのか、考えていくことが大切ですね。

白濱 まず、子どもたちの人生を左右するのは、母と子の心のきずながしっかりとできているかどうかです。お母さんは「いつでもおいで」という気持ちで、子どもの気持ちを受け止めてほしいと思います。お母さんとの心の結びつきは子どもの心のなかに、人間として持っていなければならない「やさしさ」を育てていくのです。

園長 それは、お母さんたちも実感としてよくわかることだと思います。

白濱 アレキサンダー・ニイルという教育者は「心の健全な子どもは好奇心旺盛で、探索活動に没頭するが、愛を拒否された子どもは人を困らせることに夢中になる」といっています。甘えたいのに、甘えられないと子どもは落ち着きがなくなり、友だちに手を出したりして、そのストレスを他人に向けるようになります。それは、自分に注目してほしいというサインをお母さんに送っている、ということでもあります。

園長 そういう場合はどうしたらよいのでしょうか。

白濱 人をたたいたらダメとか、言ってもなかなかいうことを聞かないのではないでしょうか。それよりも、だっこ、おんぶ、添い寝をすることです。お母さんのいいにおいに包まれて、肌のぬくもりを感じながら、眠りにつく、こんなことで子どもは心と心が結びついて、本来のエネルギーを取り戻せます。人間が心身ともに、成長するために欠くことのできない言葉やはたらきかけのことを「ストローク」といいます。ストロークには、勇気づけるストロークと勇気をくじくストロークがあって、勇気づけるストロークを肯定的ストローク、正のストロークなどといいます。反対に勇気づけないストロークを否定的ストローク、負のストロークといいます。頭をなでたり、だっこしたり、握手したりという肌のふれあいによって子どもはうれしくなり、元気がでます。話しを聞いてあげることも、勇気づけるストロークです。
うなづいたり、あいづちを打って聞いてあげるともっと話したくなります。お母さんも子どものこととか幼稚園のこととかいろいろ話したいことがあるのに、仕事から帰ってきたお父さんに「疲れてるんだから、明日にしてくれよ」といわれたら、面白くありませんよね。それですめばいいのですが、ときには頭に来てお父さんに手や足を出したりする(笑)、こう考えてみれば、子どもが友達に手をだしたりすることもわかりますよね。負のストロークを受けているのです。

園長 子どもには、自分の気持ちを受け止めてもらえた、という安心感を持たせることが大切ですね。私の園の先生たちも、その子どもたち一人ひとりの気持ちを受容するということは日ごろから、十分心がけているところです。

白濱 ひよし幼稚園の先生たちは、そのへんのところがとてもきちんとできていて、私も良いなと思っていつもみています。

園長 先生にそう言っていただけると励みになります。ありがとうございます。

白濱 子どもは自分の気持ちをわかってくれる人がいると思うと安心でき、自分を肯定的にとらえることができるようになるのです。それを、無視したりあたまから「どうしてそんなことするの!」とか「ダメでしょ!」とか言いつづけると自分の思いを伝えようとしなくなり、人を攻撃したり、人のせいにしたりします。また、すねたり、わがままを言って自分の思いを通すようになります。

園長 子どもの心によく響く言葉がけが大切なのですね。子どもがまっすぐに伸びていくための、キーワードはありますか。

白濱 子ども自身が自分には能力があるとか、自分は愛されているとか、自分に対して肯定的な概念を持つ言葉を多く用いることです。たとえば、「ありがとう」「うれしい」「助かったわ」という言葉です。ふだんのなにげないおこないに対して「兄弟仲よく遊んでくれて、ありがとう」とか「毎日元気に幼稚園に行ってくれて、お母さんうれしいわ」と言ってあげることです。私たちは特別な感情がわかない限り、なかなかこうした言葉は言わないものですが、これはなにも特別なことに使う言葉ではなくて、ふだんあたりまえのことに注目して子どもに言う言葉なのです。これによって子どもはとても勇気づけられます。

園長 たしかに、子どもたちもこう言われれば元気が出てきますね。なにげなく自分のしていることがお母さんを喜ばせているんだな、自分の存在そのものが愛されているんだな、と思いますね。

白濱 どんな親でも、生まれてくるまでは五体満足であれば、それで十分だと願っていたはずです。でも、子どもが言葉を話し理解できるようになると、親はどうしても言葉で子どもを制止したり、また強制したりして、子どもを支配しようとしてしまいます。理想の子どもというのはありません。子どものあるがままを受け入れてほしいのです。

園長 言葉は、意志を伝える道具であるとともに、心と心をつたえるものなのですね。言葉にはその人の人格が出る、といわれますが、子どもと毎日接する親は、子どもの良いモデルとして、使う言葉に気をつけなければなりませんね。

白濱 「過去と他人は変えられない」という言葉がありますが、それと同じように子どもを変えようとしてもそう簡単には変わらないと思います。
「勉強しなさい」といって子どもが勉強するのであれば、こんなに楽なことはありません。命令してやってくれればこんな簡単なことはありません。
しかし、子どもは「勉強しなさい」と言えば言うほど勉強しないものです。親御さんご自身も子どものころはそうだったのではないでしょうか。子どもを変えようと思う前に、子どもへの対応の仕方を変えてみることです。

園長 子どもは本来、いつも自分以外のものに対して心を開いていて、自分でやりたいという強い意欲があり、自分からいろんなことに挑戦する積極性をもっています。このことは、毎日子どもと接する職業である私たちにはよくわかります。本園では、そういう子どもたちを容認しながらその意欲を大切にし、子どもの積極性を賞賛していくようにしています。

白濱 ひよし幼稚園の保育は、本当にそういう点で優れた保育をされていて、私が全国370ケ園の幼稚園・保育園にうかがうなかでもトップレベルの幼稚園だと思います。この園に通う子どもたちは本当に幸せだなと思いますし、そういう園を選ばれた親御さんの意識もたいへん高いと思います。ひよし幼稚園に来るたびに思うのですが、ここの子どもたちは、広い園庭をいっぱいに使って遊びをくりひろげている、生き生きしているという感じがまさにするのです。それも、先生がたの日ごろの保育の賜物だと思います。

園長 そう言っていただけるのは、本当にありがたいことです。

白濱 もともと意欲のない子どもなど、いないのです。しかし、最近では小学校の低学年でも不定愁訴、つまり不安、無気力な子どもが増えているといいます。それは、子どもに指示、命令する親の言葉が意欲をなくしてしまっているのです。アドラー心理学では、「早くしなさい」「ダメ」「がんばれ」を意欲をなくす三大禁句にあげています。これは、いずれも相手に命令し、指図する言葉だからです。

園長 「がんばれ」もダメなのですか?励ましの言葉ではないのですか。

白濱 意欲は「快の感情」つまり、やってみて楽しいかということから生まれてきます。誰だって楽しくないことは、やる気がしませんね。「がんばれ」という言葉は、「苦痛に耐えろ」「イヤなことだが我慢をしろ」「楽をするな」というメッセージなのです。

園長 なるほど。子どもに届くメッセージは何かを考えて言葉を選ぶことが大切ですね。

白濱 子どもの行動は、「おもしろそうだ」(快の感情)→「やってみたい」(意欲)→「うまくいかなくてもなんとかやってみよう」(自己制御)→「うまくやれた」(達成感)→「またやってみよう」(挑戦意欲)→「次はこうしてみよう」(考える力)というようになっていて、意欲の根源は「快」あるいは「感動」といってもいいのですが、そういう心がゆさぶられることにあるのです。そういうものは、たとえ親であるにしろ他人から無理やり与えられるものや、指図、命令の類のなかにはありません。それは子ども自身が感じることで、子どもの心のなかにあるのです。

園長 子どもの感動を共有してあげること、子どもの感じ取ろうとする心の動きを親がまずしっかりと把握して共鳴してあげることが大切なのですね。

白濱 そうです。子どもの心の世界は広いのです。子どもが何かを拾ってきた、とします。子どもにとっては、なんだか不思議な興味がそそられて思わず持ち帰ったものです。でも、お母さんは「なに、そんな汚いものもってきちゃ、ダメでしょ!」と叱るでしょう。その前に、「あら、それなあに?」と少しだけ子どもの気持ちに寄り添うぐらいの余裕がほしいものです。「あれしちゃダメ」「これしちゃダメ」の禁止句を幼児期からたくさん浴びせられてきた子どもは早い時期にやる気を失います。

園長 頭ではわかっているのですが、でもついついカッとなって叱ってしまう、というのが親でもあるのですが…。

白濱 叱らない親は、いないといってよいでしょう。でも、なぜ叱るかというと子どもを支配したいからだと思うのです。カッとなって叱るのは、子どもを自分の思うように動かそうとするからです。しかし、たいていの場合、思うようにはなりません。それでまた、その怒りやイライラを子どもにぶつけてしまうのです。

園長 白浜先生がよくおっしゃる「子どもの目で見、子どもの耳で聞き、子どもの心で考える」ということが大切だということですね。

白濱 子どもは天からの授かりものだといいます。自分のおなかのなかで大きくなったにせよ、それは聖なる生命のいとなみです。その子のいのちは、たったひとつしかないかけがえのないものです。いのちの重さから言えば、親も子どもも対等なはずです。子どものいのちを畏敬して、ひとりの人格としてどこまでも尊敬していく、それが親子関係のありようだと思います。

園長 親が子どもを対等な人格として尊敬することで、子どもの心と人間性が育っていくということですね。言葉にすれば簡単ですが、これがなかなかむずかしい。

白濱 さあ、すぐに明日から、というわけにはいきません。子どもを育てることは、自分も人間として成長していく、子どもとともに育ちあっていく、ということです。そのための便利なマニュアルなどありません。しかし、親がそう意識を変えてみよう、そう思うことが育児の始まりであり、育児の究極的な目的ではないかと思います。「育児」は子どもを育てることであると同時に自分を育てる「育自」でもあるのです。

園長 本当にそうですね。今日は、どうもありがとうございました。(了)

平成15年3月